北九州市民のランニング備忘録

仙台から始まり東京を経由して九州に至った大学教員がランニングについて書くブログ。目指すはグランドスラム! (残り:サブスリー)

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いち宮城県民の目から -5年という月日によせて-

ランニングと直接関係ないので書くべきか悩んだけれど、仙台市民・宮城県民を名乗っておきながら触れないのは違和感があったので。

以下は個人の主観が多分に含まれますので、ご容赦下さい。

 

 

5年経ちました。

身近な仙台近辺は地下鉄東西線の開通や駅前ロータリーの整備、ビルの立替などが進んで、ある意味震災前からは見違える様子になりました。

その一方で、まだ外壁の剥落防止のためのネットがかかったままのビルがちょこちょこ見受けられたりする状況もあります。

月日がたって新しくなったところもあれば、そのままのところもある。

 

そういう意味では"地震"の被害自体は限定的なものだと思えますが、沿岸部に目を向けると、復興?と思うような風景が広がっているのも事実です。

がれきは片付けた、土地も土を入れ替えた、でも人はそれで戻ってくるか?難しいところです。

月日がたって環境を整えても、人の戻らないところもある。

 

仕事で通っている気仙沼石巻周辺も震災直後からすると、復興が名ばかりでないことを感じる様な建物の再建やインフラの整備を見て取れます。

しかしながら大通りから一本入った小道では、まだ道がガタガタしたままだったりと道半ばである印象も強いです。

月日がたって復興の息吹を感じるところもあれば、震災当時に近い場所もある。

 

 

風評被害について。

仕事で少々関わっていることもあり、農作物の放射線測定に関しては宮城県福島県共に過剰すぎると感じるほど入念に行っていると思っています。

それでも、放射能の影響から来る風評被害が払拭されないのは(個人個人の考えを尊重しますが)、個人的には残念でなりません。

先日のいわきサンシャインマラソンの前夜祭でも市長が風評被害の払拭が何よりの願いと仰っていましたが、生産者の立場からすれば自らでコントロールできない切実な問題なのは同意出来ます。

 

私は偽善者とそしりを受けようが、福島の野菜や果物は美味しく頂いているし、年に数回は小旅行やマラソンの遠征という形でお金を落とすことで、自分も楽しみつつ少しでも経済が潤ってくれれば良いなと思って行動しています。

 

5年という月日が流れて、だいぶ前の出来事に感じる人もいれば、昨日の事のように目の前の現実と対峙している人もいます。

"もう"5年なのか、"まだ"5年なのかは人・土地それぞれですが、どんな形であっても・わずかばかりであっても被災地を思って、そこに住む人のためになる事をして貰えると東北地方の一住民としてとても嬉しく思います。

 

まとまりの無い文章ですが、ここまで読んで頂きありがとうございます。