なぜ研究者になろうと思ったか
最近になってようやく学生の実験が動き始めて、やっと物事が進み始めたなーと思うこともしばしば。最初の1歩が何事も肝心なんだろうけど、とりあえず踏み出してくれたのは何事にも代えがたいと思ったり。
何の因果か大学教員という職に(一時的に)就いてしまったので、何となくその辺りの話を書いてみる(色々ぼかしが入るので半フィクションくらいの感じで(笑))
元々は研究者という職は全く眼中に無かった…というか、実力的にあり得ない!と思っていたのが大前提。今でもこんなレベルの高い場所でやっていけるのか(;´∀`)と日々身につまされているけど、その辺は意外と何とかなる部分もあったりします。(勿論何とかならない部分のほうが多いですが…)
大学も学部を出て、修士を出て普通に就職と考えていたけど、何を血迷ったか内定を蹴って博士課程に進学した辺りから、雲行きが怪しかったのかもしれませんね(笑)
自分の人生を振り返ると幾つかターニングポイントが間違いなくあったなーと思いますが、その一つが仙台で学生生活を送ったこと。もう一つは東日本大震災。
仙台での学生生活は本当に素晴らしい環境で、尊敬できる先生方から指導を賜ったのは代えがたい経験でした。良くも悪くもここである程度鍛えられたのが、今何とか生き延びられているってことに繋がるんでしょうねー。
もう一つの東日本大震災。私はこの日の午前に出張で仙台を離れていたんですが、この日を境に人生観がガラッと変わりました。人はどんなに徳を積んで、慎ましく生活していても、運悪く亡くなってしまう。そういう無情さを目の前で突きつけられました。
そういう中で、研究者という職に就いた理由はある意味刹那的な側面があって、"明日もし死ぬなら、今日何が出来るだろうか?"と考えた時に、自分の選択できる自己実現が可能な職が研究者だったんですね。そういう意味ではネガティブな選択だなー(笑)
でも、自分でものを考えて、自分でやってみて、また考えて・・・って言うのはブログを見て頂ければ分かる通り、自分自身の根っこに近いのかもしれません。そういう意味では天職に近いのかなーと思ったりも時々します(実力が伴っていないのが専らの悩みですが(^_^;))
ランニングもきっとトライアンドエラーを繰り返して進歩する側面が好きなんだろうな。と思います。歩み続けるって気持ちを持ち続ければ、いつかは報われる?のかもしれませんね。